

日本人を日蓮大聖人の瞳に写す
日本人を日蓮大聖人の瞳に写す
1.
①日蓮大聖人の日本国生誕前
日蓮大聖人は日本にご生誕される約二百五十年程前から、仏教末法時代が始まっているという教えや話が一般的になっていた時代にご生誕されました。そして釈迦牟尼仏が末法として伝えられた内容に酷似した状況が現日本、当時の日本国一帯に繰り広げられていました。
時を遡る事、平安時代末期となると、国内は次第に乱世に移り変わってきておりました。
それではその乱世となった原因起源は何なのか、それは東大寺、興福寺の武装した僧侶達の僧兵活動のムーブメントこそが、原因起源の中心でありました。彼らは「世直し」というキャッチフレーズの下に、朝廷に対抗し始め、俗世世間で自分達の利となる事をひたすら暴力によって認めさせてきた、一連のムーブメントこそが僧兵活動であり、これが全ての悪事の起源でもあります。
この僧兵活動のムーブメントは比叡山延暦寺派や念仏宗各派にまで及んでしまい、寺社の自治領地は全国で拡大していきました。
②正式な武士という身分が成立
元々検非違使がその任務に当たっていた京都の都市門番の役割ですが、白河法皇が設立した院専門の門番が「北面武士(院御所の北面)」として成立しました。ここから源平の覇権争いも始まる事になりました。この武士こそが僧兵ムーブメントを抑え込む目的で成立した存在です。
③飼い犬に飼い主が飼い慣らされる
平氏は門番の身から急激に公家貴族と血縁を結び、朝廷内に入り込み天皇や奥ノ院を圧倒し始めました。
この時点で平氏による下剋上が完成し、深く乱世を写し出しています。国家の中枢でこんな事が始まれば、世は更に乱れ本末転倒な事象が増大していくのは当然の事であります。
④武士の共食いと地に落ちていた事を証明した天皇
平氏による平氏の為の「我が世」もついに終焉を迎える事になりますが、醜い源平の殺し合い争乱覇権争いの結末よりも重要なのは、平氏と行動を共にした安徳天皇が壇ノ浦にて溺死してしまった事実こそとても重要な事を意味していました。つまり、天皇朝廷には遥か昔よりその神力、神通力、威力は廃れ果てていて、単なる悪業天皇朝廷である事を自ら証明する形になってしまいました。
要するに時は既に仏教末法時代となり、天皇や大王の己の神力や善神の守護は全く皆無である事を証明した出来事となってしまいました。
⑤朝廷への下剋上が完成
武士による幕府が成立し六波羅探題が京都に設立され、日本国の政祭の下剋上が完璧化しました。乱世が更に深刻化した事を意味します。奥州の藤原氏まで深刻化した乱世の餌食になってしまいました。
⑥下剋上に次ぐ下剋上
次の下剋上による覇権争いは、鎌倉幕府内で起こります。
頼朝の血脈は北条氏により滅ぼされてしまいました。部下が上司を亡き者としてしまいました。以後、北条氏の天下となりました。
2.
①日蓮大聖人の国家諌暁
このように、日蓮大聖人が日本にご生誕される前から当時の扶桑国日本は世が乱世に落ちており、大聖人はそのような日本の当時の状況を嘆き、朝廷、幕府に立正安国論を三度上奏し国家諌暁をされました。
立正安国論の主な内容を要約解説すると次のような内容です。「末法という時代は、人の過去世に釈迦牟尼仏から導かれた仏道の徳を積んだ者は生まれず、貪(むさぼり)、瞋(いかり)、痴(おろか)の三毒の煩悩に染まった者のみが生まれ来る時代で、世は乱れ苦しみの地となる。三災七難の地獄の苦を免れ、住む処を安国の地とする為には、釈迦牟尼仏が説いた法華経の文底に示された南無妙法蓮華経のみが三毒盛んな者を成仏させる唯一の教えである。他の諸経の効力が無くなっている諸宗の僧侶達への布施や施しを辞め、それらの者を還俗させ、南無妙法蓮華経を教え伝える日蓮達にのみに布施する事によって、成仏も叶い、国も安国の地となる。雨風もとても生き物にやさしい物となり、天災は無くなる。そもそも末法の時代は諸天善神は天に去り、その祠には悪鬼神、悪霊共が自らを善神だと嘯いて善神に摩り替わってそこに居座っており、加護はなく厄災のみが競い起こり、三災七難が地獄の地にしてしまうのである。」
しかしながら、当時の権力者為政者達はこの日蓮大聖人のこの三度の諌暁を無視したり、却下するだけに留まらず、反って迫害処刑未遂、無実の罪で伊豆や佐渡への流罪という扱いで対応したのです。この歴史的事実は日本国万民にとって、地獄の苦を深める痛恨の選択となってしまいました。
*(立正安国論の全文の現代語訳は文書、動画がそれぞれありますので内容を確認してみて下さい。
URLは https://w.atwiki.jp/gendaigoyaku/pages/16.html https://www.youtube.com/watch?v=2NN-q1OuUE4 )
②王政期の首謀者
日本国万民は安国の地に変わるどころか、真逆の三災七難の地獄の苦を更に深める罪を犯してしまいました。その首謀者は朝廷では亀山天皇と後宇多天皇、院政者の後深草上皇、幕府では北条時頼と北条時宗がその中心人物です。この五人が日本国の万民が令和の現代にまで続く三災七難の地獄の責めに苦しませられる事になったその歴史上の元凶的な権力者為政者です。
3
①日蓮大聖人の瞳に写る日本人
日蓮大聖人は末法時代の日本人の本性を、ハッキリと鮮やかに教え伝えています。
日蓮大聖人ご述作の開目抄の中で、「邪智謗法」の人々が住む「破法の国」では折伏という経法伝授の方法で仏教を伝えなければならない。と示されています。つまり、日本国の人々は仏教を知りながら、邪な知恵を働かせ、正法を誹る者共である。とその本性について示されています。この事は、西洋等の諸外国の人々は仏教自体を聞いたり教えられた歴史がないので、「無智悪人」という本性であり、れらの人々の国を「悪国」という言葉で示されています。
又、佐渡御所の中で涅槃経を紐解いて釈迦牟尼仏が百三十六所の地獄を照らし見たと時、一闡提以外に全て成仏して地獄には誰もいなかった。そしてその一闡提が産み広げて末法時代の日本人になった。と記されています。
要するに仏教正像時代と末法時代は、肉体的遺伝情報は同一の日本人でも、魂領域(過去世での行動)では末法以後に生まれた日本人はそのルーツや本性が違うという事を意味しています。
②日蓮大聖人の予言
日蓮大聖人が佐渡流罪から赦免され戻った後には幕府内で内紛が起きました。二月騒動と呼ばれている事件で、北条氏内部での紛争が起き、当然多くの死者が出ました。この事実は日蓮大聖人の国家諌暁を受け入れない報いとして起こった事象です。更に霜月騒動という内乱も起きました。
又、朝廷では後深草上皇と亀山天皇が対立の様相を見せ始めるなど、内乱の兆しを思わせる事件が発生しました。この事も当然日蓮大聖人の国家諌暁を受け入れない報いとして起こった事象です。更に亀山天皇という存在は南北朝に朝廷が分かつ原因を為した張本人であり、内紛内乱と常に関係していた人間でありました。
これらの朝廷幕府の一連の事件は、立正安国論の中で説いている「自界本逆難」という仏罰の一つの事象であり、日蓮大聖人の予言が的中していた事を完璧に証明しています。
更に「他国侵謐難」という立正安国論の中で説いているもう一つの仏罰として、元寇が起こりました。この元寇という戦乱が勃発し、この出来事も日蓮大聖人の予言が的中した出来事でした。
③仏罰
これら立正安国論の中で説かれている鎌倉時代に起きた三災七難は、それで終わったわけではありません。令和の現代にまで続いているのです。仏罰という形で三災七難が継続してきている事を、我々現代日本人は現天皇から全国民まで理解認識する必要があります。
鎌倉幕府が滅亡し南北朝の戦乱の世の始まり、室町、徳川幕府の治世この歴史全てが自界本逆難の歴史そのものであり、現代(国賊の政治家と官僚公務員)にまで続いている事を認識しなければなりません。
④続く仏罰
二度目の「他国侵謐難」とは、ペリー来日により始まり、第二次世界大戦を経て現代にまで続いている白人種の為に、地獄の奴隷人して働かせられ、苦しみ生きている現状は、仏罰としての他国侵謐難そのものを表しています。
又、同様に他国侵謐難として考えられるのは、ジパングと呼ばれ他国から嘲られてきた平安時代後期から明治時代まで続く金の国外流出による国富崩壊は、千年以上に渡り金を損失させてきた驚くべき悲しい事実です。この歴史的事実は経済的に日本人を貧しくしてきた、最も忌むべき事実です。
⑤邪智謗法の人々が住む破法の国
日本は現天皇から民主主義下の全国民に至るまで、三災七難の地獄の苦を今も受け続けており、その事を見て見ない振りをして生きている状態です。
三災七難を解説すると、三災とは1.穀貴といい、穀物が高騰等の理由により入手できない事。2.兵革といい、戦乱の事。3.疫病といい、伝染病、流行病、精神病、嘘の蔓延と思想混乱等の事。 七難とは1.人衆疾疫の難といい、伝染病、流行病で多くの死人が出る事。2.星宿変怪の難といい、星々宇宙の運行に異変が起
こる事要するに地球の自然現象に様々な変化を引き起こす事。3.日月薄蝕の難といい、日蝕、月蝕等が起き日月の作用力が弱くなり天災を引き起こす事。4.非時風雨の難といい、季節外れに暴風雨等の天災が起こる事。5.過時風雨の難といい、風雨が強すぎたり逆に日照り等の天災が起こる事。6.他国侵謐難といい、他国から侵略されたりする事。7.自界本逆難といい、同族仲間同
士の争いの事。
この三災七難を現代も受け続けています。この全てが日蓮大聖人に対して取った対応が、三災七難の地獄の責めを負う元凶であるのです。この事を見て見ない振りをして生きている日本人の状態こそが、そのまま邪智謗法の人々が住む破法の国を証明しています。
⑥真実を写し出す鏡を見ようとしない日本人
現代日本の一部の方々は江戸時代こそ素晴らしい時代で、その江戸時代を参考にして国家法体や憲法等を作り直すような事を主張してる現実がありますが、とても愚かな間違いです。日本の歴史上で江戸時代の約三百年間には一番に多く天災に見舞われ、凶作、飢饉、疫病、打ちこわし、娘子売り、餓死、餓死による人喰い、が発生しています。この背景としてはこの時代がミニ氷河期という
大きな天災期に当たっていたからです。
餓死者は江戸の町でさえ発生しました。江戸時代の約三百年間で凶作による餓死者を一人も発生させなかったのは、米沢上杉藩のみです。上杉藩はそもそも米沢に国替えになってから石高が少なすぎて、他藩ような藩運営が出来ませんでした。上は家老から朝早い時間から農夫として自作自給に取り組み、午後から城に出自し武士としての務めを果たしていました。要するに武士としての務めの九割は、ボランティアで務める事で藩政を成立させていました。当然質素倹約こそが最高の美徳という藩運営となり、そんな思想哲学が藩の空気を占めていました。そんな上杉藩だからこそ、苦しい飢饉に見舞われても農民の一人も餓死させる事なく江戸時代の約三百年間を乗りきる事が出来たのです。
この歴史上の事実から導かれる真実は、天災により凶作飢饉は発生しましたが、餓死は人災だったという真実です。上杉藩以外は中枢の幕府を含めて、権力者為政者の驕りによって約三百年間の間に多くの餓死者を発生させました。江戸時代こそ地獄の三百年間であり、模範とするような時代でもありませんし、素晴らしい時代でもありません。中島 陽一郎の飢饉日本史 (雄山閣BOOKS)を読み確認してみて下さい。
江戸時代は戦国時代のような大名や僧兵寺社勢力の争いは無くなりましたが、残念な事に秀吉も徳川幕府も増えすぎた武士僧兵人口を減らす為の武士僧兵還俗政策を取れませんでした。
結果として江戸時代の士農工商及び芸人、僧侶神官等、の人口割合が他のアジアやヨーロッパに比較すると、鎖国というブロック経済下では農民人口が少なすぎて、ちょっとした天災で直ぐに餓死者を発生させてしまう典型的な人災となりました。石潰し人口が多すぎる事、つまり、多すぎる武士僧侶等の存在そのものが餓死者を多く出してしまった根本原因だった真実に、目を背けずに受け入れる
事から認識を新たにしなければなりません。
江戸時代は多くの天災と人災による地獄時代そのものです。日本国や日本人に好意を持つ事は問題ないのですが、現代日本の一部の人々は日本民族優生思想(選民思想)、や所謂日本教という考え方や思想に重きを置いている現状がありますが、偏った思想はとても危険な物で、そのような思想が極右等と結びつき危険な出来事を起こしてしまう可能性があります。この事自体が三災の疫病蔓延を表しているのです。日本民族優生思想(選民思想)、や所謂日本教の内容の全てではないですが、大方は日蓮大聖人の教えからは正反対の内容です。
⑦ボトルネックとして作用する日本人
実は日本人が日蓮大聖人の教えを忌み嫌い、所謂日本教のような思想に固執する事は日本だけでなく地球全体にも悪影響を及ぼしているのです。日本以外の国は、仏教そのものを聞いたことがない無智悪人の悪国であり、それらの人々に日蓮大聖人の教えを伝えるのは日本人がその中心ですが、その肝心の日本人が邪智謗法の破法の国の人々であり、日蓮大聖人の教えを忌み嫌うという皮肉な現象が続いており、日本人がボトルネックとなって、日蓮大聖人の教えを地球全体に広める事を妨げています。
⑧災いのクライマックスの時代
今後の日本と地球全体について考察すると、最近まで地球全体で起きた天変地異はあまりにも規模が大きく数も多い状態です。
世界中で三災七難が競い起こっていて、日本もアメリカも何処もかしこも、其々の国が亡国の危機に瀕しているように見えてしまいます。
日蓮大聖人は「聖人をあだめば総罰一国にわたる」と「日女御前御返事」に記しています。又、「国は亡ぶとも謗法はうすくなりなん、譬へば灸治をしてやまい病をいやし針治にて人をなをすがごとし、当時はなげ嘆くとも後は悦びなり」と「六郎次郎殿御返事 」に更に、「世は亡び候とも日本国は南無妙法蓮華経とは人ごとに唱へ候はんずるにて候ぞ」と「経王御前御書」に、又更に「国はいかにも候へ法華経のひろまらん事疑なかるべし。」と「大果報御書」に記しています。
要するに、国家国体が滅んでその地獄の苦しみの中で、日蓮大聖人の教えがようやく広まるという事を意味しています。そもそも、朝廷鎌倉幕府の亀山天皇、後宇多天皇、後深草上皇、北条時頼、北条時宗の五人の為政者が愚かな選択をしてから、今日まで三災七難が続いてきており、今後はそのクライマックスの時代に、突入し始めているように感じてなりません。
⑨亡国期における日蓮仏法弘教の神髄
日蓮大聖人は「兄弟抄」の中で「涅槃経」の一文「横に死殃に羅り呵嘖・罵辱・鞭杖・閉繋・飢餓・困苦・是くの如き等の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず」と日蓮仏法を経法流布する為の覚悟を、門下に教示されています。更に、「乙御前母御書」に「日蓮が身の賤しきについて巧言を捨てて候故に、国、既に亡びんとする、かなしさよ、又日蓮を不便と申しぬる弟子どもをも、たすけ難からん事こそ、なげかしくは覚え候へ。いかなる事も出来候はば是へ御渡りあるべし見奉らん、山中にて共に餓え死にし候はん」と日蓮仏法弘教の神髄を、門下の魂に強く刻むよう教示されました。
要約すると、日蓮仏法を弘教する今世において、変死や事故死、頓死、若死にし、或いは迫害を受け、飢餓等に苦しむ等、種々の苦しみを受ける事になっても、地獄に落ちる事はない、炎に焼け死んでも熱さ感じず、水に溺れ死ぬも苦しみ無し、顔に其罪畢巳(ございひっち)の相を表す。
私日蓮がみすぼらしいので、言う事が正しくてもそれに従わない為政者達が原因で、既に国が亡び始めていて、その災難に我が弟子達も巻き込まれる事が嘆かわしいのですが、いよいよの時は私の元においで下さい、共に山中に入り、祈りの中で餓し死する仏意仏勅の時を待受けましょう。この様に、この開目抄の一説こそが「非暴力主義」の神髄です。
この国家(世界)が亡び行く災難期の、日蓮仏法弘教哲理こそが、人類における全ての問題の、根本的な解決方法なのです。「立正安国論」の中で、日蓮仏法弘教の方法論を示しており、その内容とは「インドから伝わった日蓮仏法以前の教えでは、身を守る為の最低限の刀杖等の、正当防衛の武装が許されれていたが、我が日蓮仏法の弘教においてはそれをも放棄し、言論のみで他宗の貪欲の僧らへの供養を旦那等にやめさせる活動をその旨とする」とはっきりと示されています。
そもそもこの地球という星において、仏教の末法時代を始めた国はこの日本国であり、その始まりは貪欲な僧らのエゴを満たす為に、武装して朝廷を脅して主張を認めさせようとしてきた僧兵の出現が原因です。この詐欺師僧等が世に憚る事が原因で為政者が詐欺師となり、末下々の一般人まで詐欺師になってしまう。一国全て詐欺師となり、互いに苦しみ合い地獄の様相に変り果て、観かねた善神は相い去り、悪鬼が善神と偽り善神の祠に巣食い、悪鬼に災いを受ける事になった。更に安倍氏等の鬼使いを朝廷が利用し、火に油を注ぐ事になった。
食べ物が無く飢えてしまえば、他人の食糧を盗んだり、殺し奪ったりする事は、日本以外の国では普通の事であり、生存本能を満たしているだけで、当然の事と考えられています。日本以外の国々の人の、命魂は「無知、悪国」の為、過去世に仏教に出会った経験が無いので、単純にこうなります。
一方、現代日本人の命魂は「邪智、膀法の人の国」であり、遥かなる過去世において他の宇宙世界の他の星において、法華経護持の人を知りながら誹謗し迫害し、仏を殺し、仏から知識を盗んだ詐欺泥棒の一闡提五逆罪の罪人(この娑婆世界宇宙の全ての地球外知的生命体の存在の魂よりも、遥かに古い宇宙世界から存在してきた古い魂存在)です。
今後、地球規模で起こる全ての厄災は、日蓮仏法でしか解決出来ません。「立正安国論」で示した日蓮仏法弘教哲理こそ、真の「非暴力主義」を示しており、深い深い日蓮仏法哲理に基づいた真の非暴力主義でしか世界を救う事は出来ません。
⑩日蓮大聖人の予言の姿
未来の素晴らしい地球の姿について、日蓮大聖人は「如説修行抄」において記し表わしています。
全ての人々が日蓮日蓮大聖人の教え以外を捨てて、南妙法蓮華経と唱えゆく日々が来れば、雨風は優しく吹き靡き、伏羲、神農の時代のような正直者の素晴らしい世界となり、不幸な天災等は全て無くなり、不老不死の技術を獲得した素晴らしい時代となる。
又、「四条金吾殿御返事」に記し表わされている内容に、何の兵法よりも法華経の兵法をもちいなさい。とあります。要するに、ジタバタと色々逆らいながら、法華経の兵法以外で対応しようとしても良い結果にはなりません。覚悟して法華経の兵法をもちいて物事に当たる以外に道はないという事です。
何らかの日蓮日蓮大聖人の教え以外の物によって、世界で不幸な天災等が全て無くなり、不老不死の技術を獲得した素晴らしい時代となる事は決して有りません。
⑪アセンション
ここで私個人の意見を述べさせて頂きます。最近は「アセンション」という言葉単語を用いて、地球が素晴らしい状態に変わるというような論説が巷を巡っていますが、そのアセンションという状態は、日蓮大聖人の教えを全面的に受け入れる事でしか、現実化する事は無いと思われます。
では、世界で不幸な天災等が全て無くなり、不老不死の技術を獲得した素晴らしい時代という状態になるまでどのくらいの時間が掛かるのか考察してみました。
結論として言えるのはマクスウエバー氏著作の「職業としての宗教、政治、学問」の分野の職業に従事する人々が、マネーの為でなく完全ボランティアによるムーブメントで従事する事になった後だと考えられます。江戸時代の米沢上杉藩の運営こそ、その手本となると思われます。もちろん現在でも村議会議員等で完全ボランティアによるムーブメントで従事されている方々が居ますので、そういった運営こそ手本となります。
職業の範囲としては幼稚園や保育所の先生保育士さんも含まれますし、警察消防等の全ての末端公務員まで含まれますし、宗教系では霊媒師、霊能力者、超能力者、占い師等まで含まれます。
つまり、現在上記の職業に従事してる人々でマネーの為以外に続けられる方は、十万人に一人位の割合しか居ないのではないかと考えます。
最終的にもう五十年とか、もう百年のように言うのは不可能です。正直者の善人が制覇している世の中で善神がよくよく守護している時代に変わるには、この第六天魔王の支配下の娑婆世界宇宙では、かなりの時間が掛かります。
更に加えて個人的に導き出した内容をお話しすると、この宇宙世界で仏が生誕され仏教が伝えられたのは、この地獄惑星の地球だけであり、地球以外に本拠を持つ生命体には仏教は伝わっていません。つまり、知的地球外生命体に日蓮大聖人の南妙法蓮華経を伝え教えるのは地球人の側の役目なのです。
⑫日蓮仏法が世界の優良思想を照らし輝かせる宿命
日蓮仏法哲理は、真の「非暴力主義」を深淵な哲理の元に世界に発信表現しています。しかし残念ながら、この地球上において「非暴力主義」の活動を最初に始め世界に広める事は出来ませんでした。それをやり遂げたのはインドのガンジーが率いるグループ集団であり、その思想はキング牧師やネルソンマンデラ氏に影響し、活動の輪が世界に拡大していきました。
創価学会と池田大作氏(以下、池田氏と記述)は、日蓮仏法の深淵な哲理である「非暴力主義」の理念を元に、ガンジー氏の後継者グループやキング牧師の後継者グループ、ネルソンマンデラ氏本人(彼のグループも含む)に対し、非常に強い連帯の意識を示し深い心の交流を展開していきました。その内容は彼ら先達の「非暴力主義」思想活動を、日蓮仏法で照らし輝かせた感動的な魂と魂の深い深い交流となりました。
このように創価学会と池田氏は、深淵な日蓮仏法哲理の真の「非暴力主義」を元に、地球規模で活動を展開してきました。そしてそのキーワードは
「非暴力主義」「世界と個人の平和」です。
それゆえに、例えば池田氏は初めて中国を訪問した時、中国政府の建物の道路淵の門番守衛業務の方に対し話しかけられました。その内容は、戦後に「日本人残留孤児」を多くの中国人が親切に育てくれた事実に対する感謝の意や、悠久の時々の文化的恩恵に対する感謝等であり友好的な物でした。その内容と真剣さに感動した門番守衛業務の方は、彼の上司を池田氏に面会させる事となり、次々と数珠繋ぎに上司上役との交流を刻んで行く事となりました。そして最後に中国国家主席と心の交流を結ぶ事になりました。凡人の感覚からすると、正に奇跡としか言いようが有りません。
又、例えば池田氏はイタリアのローマクラブの創立者であり平和主義経済学者のアウレリオ・ペッチェイ氏と民主主義と国境のない地球政府について意見を共にする等、心と心の交流を結んでいます。
又、例えば池田氏は地球全体の司令塔と評価されても過言ではないヘンリー・キッシンジャー氏が、実際的に米国と中国の平和と国交にに尽力した事実、米国とソ連間の実質的な平和を創り上げた事実を最大限に讃えており、キッシンジャー氏とも深い心と心の交流を結んでいます。
その他、創価学会と池田氏は世界で真に「非暴力主義」「世界と個人の平和」の為に尽力されている人々や団体と深い交流を結んでおり、その内容は日蓮仏法で世界の優良思想を照らし輝かせていく為の活動です。
巷で下世話な内容に、創価学会や池田氏が、地球上の支配者階級側の例えばイルミナティやフリーメイソン等の組織の、世界コントロール活動の元に活動しているとか、或いはその秘密下部組織であるとかの、非常に低レベルな見識を、世に広めている人々が存在していますが、低レベルすぎて呆れ果てて仕方ありません。
確かに創価学会や池田氏がイルミナティやフリーメイソン等の組織の一部の方々とも、当然良好な交流を維持していますが、世界支配者達の世界征服活動
を歩調合せて企んでいる等という、くだらない論調は完全に的外れで悪意のある攻撃でしかりません。そんな、悪意に満ちた言動をする勢力の方々の、最終的な
末路は悲惨な現実を自らに招く日々となるでしょう。
最近はグローバリズム対ナショナリズムの対立が世界中で起きていますが、双方に善良な思想とその活動が存在しているように見られます。又、グローバリズムの仮面を付けて自らの巨大なエゴイズムを満たしているだけの存在が見られます。同様にナショナリズムの仮面を付けて巨大なエゴイズムを満たしているだけの存在が見られます。問題は、この悪質な仮面をした極端なエゴイスト達だと思われます。それを見抜く事が出来ずに、血みどろの争いと混乱に巻き込まれている人々が、余りにも多いように思われます。
誰もが自らの幸福を望む事は当然の事であります。その上で、自らの幸福と他者の幸福、更には世界の幸福の実現こそが重要であり、それを可能としていくのが日蓮仏法です。今現在地球上に、日蓮仏法以外にそれを可能とする深い哲理を持つような物は、他に有りません。
⑬日蓮仏法を真に広める存在と日蓮仏法で自らのエゴを満たすだけの存在
創価学会の3人の歴代会長の意思を継いだ者達にしか、この地球の全ての問題を解決させていく事は出来ません。
他にも日蓮仏法を信仰する団体はそれなりの数が有りますが、他は全て「日蓮仏法を利用して自らのエゴを満たす為の団体」ばかりです。創価学会と日蓮正宗
という2つの宗教法人団体が、関係を完全に決裂させましたが、その真の理由原因は最近の出来事では有りません。真の理由原因は太平洋戦争の戦時まで遡ります。
そもそも日蓮仏法とは日蓮の教え以外の全て教えは膀法外道として拝せず、膀法外道の僧、神官、巫女、祈祷占師等への供養を絶たせて還俗させる事を旨と
しています。にも拘わらず、戦時中に日蓮正宗は日本軍政府の命令に従い、日蓮正宗総本山と末寺に神棚神札を祀りました。それだけではなく、日本軍政府の命令に従い、他宗他教団体と同様に日本国の戦争勝利を祈祷していました。それに対し、当時の創価教育学会は日蓮仏法の教えを守り抜き日本軍政府の命令を受けませんでした。会長の牧口常三郎氏、2代会長の戸田城聖氏の2人は逮捕され終戦直前まで拘留され、更に牧口常三郎氏は獄中死させられてしまいました。
その時点で日蓮正宗という団体は、日蓮仏法の神髄を世界に広めて世界の平和に寄与するという事よりも、日蓮仏法を利用して自らのエゴを満たすだけの団体
という本性を、自ら暴露させたのです。
又、日蓮宗(身延派と言われる)や日蓮大聖人を中枢に据えた新興宗教系団体がありますが、太平洋戦争戦時下では日蓮正宗と同様に、日本軍政府の命令を受け入れる対応をしていましたので、所詮その本性は自らのエゴを満たすだけの存在でしかありません。
日蓮仏法の神髄を忠実に世界に広める事が出来たのは、3人の歴代会長の意思を体現させた創価学会だけです。
⑭21世紀における日蓮仏法広宣流布の真髄
何故に、日蓮大聖人御在世当時直後に日本国が亡びずに、じわじわと長い時代をかけて仏罰が続いてきたのか?
日蓮大聖人御在世当時の為政者が、日蓮大聖人の教えを完璧な形で受け入れていれば、日本国はかなり昔の段階で種々の改革や発明発見が、日本国の歴史に
躍り出ていた可能性が高いです。当然現在の21世紀は、既に不老不死の技術も体得していたかもしれません。
「立正安国論」において「汝、須らく一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か。」という、非常に重要な文章が有るのですが、要約すると「あなたが自分自身の王政期の天皇等の為政者の立場にある者というのは、既に「自分自身の安泰」という状態は確保されてるので、この「立正安国論」が王政期の天皇等の為政者の立場の者を、本質的な対象としていない事が理解できます。王政期の天皇等の為政者の立場の者を本質的な対象としているのであれば、「汝、須らく一身の安堵を思わば先ず」という個所は「王たるものは先ず」という表現がより適切な文体となるからです。
「立正安国論」は3度も鎌倉時代の為政者に提出され諌暁されたわけですが、その真の対象者は、民一人一人である事がこの一文から理解する事が出来ます。つまりこれは、日蓮大聖人は民一人一人が主役的な時代となる事を予期していたし、何処にでもいる民の一人が、身らの願いと世界平和を共々に祈り合わせる事を、信徒達に教示された物であり、「民主主義時代の個人の幸福」と「世界平和」を共に同時に祈る事を、日々の祈りに反映させる為の重要な御遺命として示された内容なのです。
政治的な王政期での広宣流布は実現出来なかったわけですが、それに代わる事象が大きいのかもしれません。
その大きな事象とは、「民衆主義」「印刷技術」「インターネット技術」かもしれません。地球という地獄惑星での仏教末法時代の広宣流布とは、第一に政治的な民衆主義期という人間一人一人の自由と独立した意志が前提であり、第二に廉価に印刷物を誰でもが入手出来る社会力、第三に廉価(無料)で全ての情報を誰でもが簡単に入手出来る社会力、「仏意仏勅」はこの状態を必要としていたのかもしれません。
真の自由で独立した意志を持つ一人のナショナリストならば、同時に世界平和を強く願う真のグローバリストになる筈です。ナショナリストとグローバリストとの戦いにすり替えて、自らの非常に強いエゴを満たしている存在に警戒しなければばなりません。日蓮仏法はそれを可能にする唯一の法です。そもそも立正安国論の冒頭の「旅客来たりて、嘆いて曰く、より近日に至るまで天変地夭・飢饉疫癘・遍く天下に満ち広く地上に迸る。~(中略)是れ何なる誤に由るや。?」という文から分かるように、世間全体を思う愛国の志士が日蓮大聖人に真剣に質問する事から始まります。正に真のナショナリストが真のグローバリスト足らん事を立正安国論が教示している世界に類の無い物なのです。
日蓮正宗の僧等やその眷属者達は表面的には様々な綺麗な仮面を付けて振る舞っているだけで、その本性は自らの非常に強いエゴを満たそうとする強力な悪知恵を働かせる存在であり、第六天魔王の眷属共です。そして庶民の眼を欺くのが大変巧妙です。
21世紀の今後の大きな指標としては、以下のような事が必要だと考えます。
第一に日蓮大聖人御書全集の全文の日本語現代語訳が全て(神国王御書を除く)インターネット上で無料で公開される必要が有ります。
第二に日蓮大聖人御書全集の全文の全ての世界各国母国語現代語訳が全てインターネット上で無料で公開される必要が有ります。
第三に創価学会並びにSGI職員は例外無く全員がボランティア運営に変革される必要が有ります。
第四に創価学会非営利外郭団体の政治、教育に関わる職員は例外無く全員がボランティア運営に変革される必要が有ります。名誉の撤退もあり得るでしょう。
第五に創価学会会則が世界宗教に相応しい内容に変革される必要が有ります。(例えば、「創価学会員が犯罪行為を為した場合、その犯罪行為を為した瞬間に遡って退会処分とする」という内容の会則は、世界宗教に相応しい内容では有りません。)
最低でもここに示した5項目の内容を実行すれば、日蓮正宗はかなり早い段階で自ら亡び行く事になります。そしてそれに続いて地球上の全ての詐欺宗教組織や人間が自滅(還俗)の道を歩む事になります。そして次のステップとして、政治行政や学問教育界も同様に運営がボランティア化される事になるでしょう。更に次のステップとして一般の民間事業体等も自社の利益を優先する思想から、ユーザーの利益優先の思想に代わり、貨幣よりも物々交換経済が主流となっていくのです。それが、世界全体の平和、世界の全ての個人の幸福に繋がる事になるのです。
そしてこのような世界の変革が「仏国土」という物を創造していく為の鍵になるでしょう。そして地球が「仏国土」という状態に成れば、巷に言われている「地球のアセンション」という状況にも案外早い段階で、地球外知的生命体の助け無しで到達出来るでしょう。それは天災の無い地球環境と成り、不老不死の技術の獲得も出来る地球人です。地球人が無駄に超能力者や霊能力者に成る必要もなく、全ての過去世を思い出した覚者になる必要も有りません。善人が制覇した地球に、過去世を憶えている超能力者が転生して来ても意味が有りません。
この未来の地球像こそが、この特異な娑婆世界宇宙という場に対して必然のパーフェクトな惑星となる筈です。監獄地獄惑星として運営されてきた地球は、娑婆世界宇宙での宇宙戦争の闇を封じる為に使用されてきており、その闇を又違う監獄地獄惑星を作って移し替えるだけの作業をして、とりあえず地球をアセンションさせても、娑婆世界宇宙の闇という問題の解決にはなりません。問題の先送りをするだけです。この娑婆世界宇宙の創造主達の力量では、この宇宙の闇問題の解決は不可能です。それが可能であったなら、釈迦も日蓮大聖人もこの娑婆世
界宇宙の地球という惑星を狙い撃ちして転生してくる必要は有りませんでした。この二人の仏が転生してきたという事は、末法仏の日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経」でしか、この宇宙の問題を解決出来ない事を意味しています。それを地球外知的生命体に伝えるのは地球人側の役割なのです。
我々の存在する「娑婆世界宇宙」というのは、多様で無数に有る宇宙の中の一つでしかなく、仏は無数の宇宙の最小の集まりを「三千大千世界」と表現しており、その「三千大千世界」が無数に存在すると説いています。
そして「娑婆世界宇宙」の性質を、「仏や菩薩が非常に強く大きな忍耐を強いれられる宇宙世界」として説いています。そして「娑婆世界宇宙」のような悪趣味な宇宙は極めて稀にしか存在していません。大多数の宇宙世界において、ネガティブな事象は理論上の概念でしか存在しておらず、現象として現実化する事がありません。その様にそれぞれの宇宙の創造主達が設計しているからです。その為、どうしてもネガティブな事象を現実として体験したいという悪趣味な性質の生命霊魂の個性体がいるとしたら、「娑婆世界宇宙」に自ら関係を持つ方法しか有りません(末法時代転生日本人を除く)。そしてそんな個性体の全てが、例外無く後悔する事になるのです。
そしてこの「娑婆世界宇宙」の問題を解消解決させようと、知恵と知識とその経験を多様に発達させますが、結局は自らの経験によって得た非常に高度な「知識」という罠に、無限にループしてはまり込んでしまいます。
又、「ワクワク精神」でもこの闇深い「娑婆世界宇宙」の問題を解消解決させる事は出来ません。「ワクワク精神」は天界の喜びの状態を表現していて、その時点で「六道輪廻」を脱しておらず、長遠な寿命を得ていても、「飽き」という事象を克服していない為、全てやり尽くして「飽き」に恐怖し、自殺自滅する事を選ぶでしょう。そしてこの「娑婆世界宇宙」の地球外知的生命体の多くが、
この段階でフリーズしているように思えてなりません。このような精神状態を克服させるのが、日蓮仏法です。
敵や悪人に対する「嫌悪軽蔑感や憎しみ」の更に向こう側に有る、許しの精神、慈悲慈哀の精神性に、必死に現実として到達出来なければ、この宇宙世界は救えません。嫌いな相手を好きになるのではなく、嫌いなままで良いから許しの慈悲の精神を自らの内側に創造させる為の「南無妙法蓮華経」の題目です。
「愛」は「忌嫌う」を含んでいる為、慈悲の精神性に到達出来ないし、創造出来ないからです。「愛」の精神は「慈悲慈哀」の精神に支えられた時に、より強くなれるでしょう。
因みに「南無妙法蓮華経」を古代サンスクリット語発音や中国語発音で唱えても、ほとんど効力が有りません。仏教末法時代を地球で開始させたのが、因縁のある日本なので、その因縁のある日本語発音で唱える事で効力が発揮されるのです。これは地球外知的生命体に対しても同様です。日本語発音で唱える事が重要なのです。又、「南無妙法蓮華経」の題目を多様な波動で発音しても効力効果は同一です。天女のような優く高い波動でも、地響きがするような地獄の底から発音する低い波動の題目でも同一効果を得る事ができます。
2024.1.19 加筆
*「一闡提」の意味
悟りを求める心が無く仏の正法を信ぜず、誹謗し誹謗の重罪を悔い改めない不信、謗法の者の事。仏を殺す等の五逆罪を犯した者。
2022.11.5加筆
*「其罪畢巳」(ございひっち)の意味
「その罪負え終わって」という意味。法華経不軽品第二十の中に示される内容
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